コンドル建築に見る和と洋の共生と調和
コンドル博士は、明治10年24歳の若さで日本に来られ、東京大学の前身である工部大学校で建築を教えられました。
その第1期生が、日銀本店や東京駅を設計した辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊、慶応大学の図書館を設計した曾禰達蔵です。
彼等は1年しかコンドル博士からの指導を受けていませんが、授業は英語、卒業論文も英語です。卒論テーマは、
「日本の将来の住宅について考える」で、曾禰達蔵が一番出来がいいと、コンドル博士からお誉めがあったそうです。曾禰氏は、
「様式は、洋風建築をベースとしつつ、日本の伝統を加味する。構造は、煉瓦造で、耐火耐久性に優れ、地震の被害を少なくできる。」
と提案しています。特に面白いのは床座です。「基本的には畳の上の床座で、ただし、寝室は衛生上からベッドの洋風」
と提案しています。ここで注目したいことは、この設計提案がそれから40年近くたった大正6年に、洋館の中に和室がインストール
した古河邸の中で「和と洋の調和」の形で結実されていることです。これは、コンドル博士が、日本の邸宅や住居は、
こうあるべきだという英国人の視点で設計されてきたのではなく、日本の文化や伝統を愛し、日本人の感性や嗜好に沿って
長年検討され、設計・建築されてきたことによると思います。
ところで、住宅展示場で展示されている戸建住宅には、この古河邸と類似した瀟洒な住宅が少なくありません。
コンドル博士は、現代の日本住宅建築にも大きな影響を与えているということではないでしょうか。
2023 年 9 月
大谷美術館副館長 林 明夫