【狭山市掘兼の雑木林】   2000年11月  
               油彩画 15F 65.2×53.0cm    楽環 


2000年11月5日と11月11日に画いた作品で、写生記録は、ホームページ収録の作品集を参照下さい。、

武蔵野台地の北辺に位置する堀兼では17世紀半ば玉川上水の開削を行った川越藩主松平信綱の命により畑作用の新田が開発され、雑木林は

その土壌改良剤件肥料として、腐葉土を得る為に植林されたものです。まさに現代・未来に通じる「循環型農法」の基礎がこの時代に形成されと云えます。

2023年7月6日、武蔵野は国際連合食糧農業機関(FAO)により雑木林の落葉で作った堆肥による循環農法の地として、世界農業遺産に認定されました。

この作品は2000年11月の5日と11日に画かれた作品ですが、国木田独歩もその著作「武蔵野」にやはり取材日を添えて武蔵野の様子を描いています。

その幾つかを引用してみたいと思います。

「9月19日  朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なほ目さめぬが如し。」 2023年のこの頃、旧古河邸ではまさに

連日30度を超える真夏日の中、扇風機を回しながらこの絵画展をやっていた最中で、朝とは云えとても冷霧寒露が感じられる

ものではありませんでした。さらに、「9月21日  秋天拭うが如し、木葉火の如くかがやく。」とあります。9月21日に”木葉火の如くかがやく”と

云う下りが気になります。9月にすでに黄葉が始まっていたと云うことでしょうか。 11月になると「11月19日  ・・満目黄葉の中緑樹を雑じゆ。・・」

「11月23日  作夜の風雨にて木葉殆ど揺落せり。・・」 「11月24日  木葉未だ全く落ちず。・・・」とあり、11月半ばが過ぎると満目の黄葉と

云うことが判ります。又11月23日には殆どの木の葉が落葉し、24日に見ると未だ少し残っていると云うふうに描かれています。すなわち、

独歩の頃の武蔵野は11月半ばころには黄葉の最盛期を迎え11月20日過ぎには落葉して冬枯れを迎えていたようです。

 一方ここに描かれた堀兼の雑木林は2000年の11月11日頃のものですが、やはり相当黄葉が進んでいるようです。独歩が画いた武蔵野の雑木林も堀兼の

雑木林も「楢を主体とする林」ですから紅葉の温度感受性がそれ程異なるとは考えられません。 と云うことは、独歩の頃と2000年は左程気温に違いは

無かったのかもしれません。ところが、2019年12月12日に現地取材した「二ノ丸の雑木林」を見ると、これも楢林ですが、まさに火の如き黄葉です。

おそらくは独歩の頃の11月中頃の黄葉と略同じような気がします。と云うことは、温暖化が進んだのは2000年以降ここ20年間に一気に進み、

季節的に秋が約1か月遅れて来て、遅れて去るようになったと云えそうです。長年雑木林の写生を続けているとそれを実感します。




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